唯識学派の心理学「阿頼耶識」

唯識を知っている方は少ないと思います。

唯識を知っている人の多くは仏教に関わりのある方がほとんどでしょう。

しかし、唯識は宗教的な意味だけでなく、心理学、心の研究としても大きな注目を集めています。

もちろん自分の心の動きを理解する事は、思考力の向上には必要です。

唯識とは

唯識思想は五世紀頃に瑜伽行派の弥勒が理論を立て、その弟子である無著と世親によって発展していきました。

現代の大乗仏教の教えではインドの商人階級から生まれたとされ「空(中観)」と「唯識」の二大思想があります。

空は「ものはすべて相対的な存在でしかなく(縁起)、絶対的な存在はありえない」といった思想です。

唯識とは大乗仏教の教えで、個々の私たちの存在は「唯、識のみ(五種類の感覚と意識、二種類の無意識)」から成っていると解析し、これを八識と呼びます。

つまり唯識は心の仕組みを探求した学問とも言えます。

五種類の感覚は普段の感覚として認知する事ができる、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の事を指し、日常感覚として理解できるため解説なしで名称だけ覚えておきましょう。

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚眼識・耳識・鼻識・舌識・身識(総じて前五識と呼ぶ)

この前五識に意識を加え「眼耳鼻舌身意(げんにびぜんしんに)」と呼び、「六識」と呼ぶこともあります。

意識の理解には注意が必要で、八識の中では心理学でいうところの無意識領域の範囲まで含まれていおり、前五識が意識を構築します。

以上の六識を認識することは簡単ですが、二種類の無意識である末那識・阿頼耶識は認識する事が困難です。

それでもこの無意識は私たちの行動、思考に大きな影響を及ぼしていると言われています。

末那識

末那識は執着心とも呼ばれています。

末那識は意識のように途切れる事なく、負の感情製造機のように常に稼働し、自己に執着し、自我を追い続けます。

自我には四つの煩悩があるとされており、「我癡」「我見」「我慢」「我愛」が挙げられます。

この末那識のせいで「嫉妬」「不安」「怒り」ありとあらゆる「執着」が、負の感情・煩悩として常に頭から離れず、幸せが感じ取れない状態にされているのでしょう。

もう少し煩悩について見ていきましょう。

根本煩悩と随煩悩

人間には三毒があるというのは鈴木大拙の記で紹介しましたが唯識での解釈は少し異なります。

唯識思想を発展させた世親には「唯識三十頌」という著書があり、その中で六種類の「根本煩悩」を取り上げています。

「根本煩悩」は「貪(人間の心の中にある執着心)・瞋(欲望が叶わない怒り)・痴(物事の本質がわからない)」の三毒に、「慢(うぬぼれ)、疑(真を疑う)、悪見(正しく物事を見ない)」があります。

このように煩悩まみれの私たちはどのように生きれば良いのでしょうか。

煩悩を乗り越える修業

唯識思想には煩悩を乗り越えるための修道論があります。

修業には四十一位の階段があり、十住・十行・十回向 ・十地・仏と分けられていますが、膨大な量になるので今回は修業の基本である六波羅蜜を紹介します。

仏になるための修行を波羅蜜と言い、六波羅蜜とは、「布施・持戒・忍屈・精進・禅定・智慧(般若)」の事を指し、智慧以前の五つの行は智慧を活用できるようになるための前修業になります。

  • 布施波羅蜜(親切、周囲の困っている人に手を貸す)
  • 持戒波羅蜜(自分のルール、戒律を守る)
  • 忍屈波羅蜜(忍耐、逐一人の行動・言動に反応しない)
  • 精進波羅蜜(一生懸命、精魂込めて生きて行く)
  • 禅定波羅蜜(座禅、心を静める)

仏教では、これらを修養し、人間本来の「智慧」を発揮できるようになることが煩悩を乗り越える方法の一つとされ、この修業が完成すると、阿頼耶識が大円境智、末那識が平等性智、意識が妙観察智、前五識は成所作智に成るとされており、これを「四智」と言います。

  • 大円境智(大きな鏡に宇宙の森羅万象を映し出すような智慧)
  • 平等性智(自己と他者は本性において平等であるという智慧)
  • 妙観察智(世界を公正・的確に知る、語る智慧)
  • 成所作智(他者を救済するための行動ができる智慧)

阿頼耶識

いよいよ阿頼耶識の出番です。

「阿頼耶」とは「蔵」の事を指し、ありとあらゆるもの(種子)を蔵することから「蔵識」「一切種子識」とも呼ばれています。

さらに阿頼耶識は人間の本心(本姓)とされており、永遠不滅の存在とされています。

また阿頼耶識は無覆無記、善悪もなく中立な存在です。

無意識は潜在意識とも呼ばれますが、フロイトの説と唯識の違いを見ていきましょう。

フロイトの無意識

自我=顕在意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造を持ち、イド(エス)からの影響を調整する機能がある。 ※あくまで無意識

イド=感情・欲求などの過去における経験が眠っている。本能的なエネルギーが強い。

超自我=自我・イドに道徳、倫理、理想などを伝える役割をもち、表裏一体の関係がある。

自我は思想や行動を意識することによって発生します。

そして無意識から意識へと真理を浮上させることを阻む存在があります。

これを唯識では末那識がその役割を果たし、フロイトの無意識においては社会的フィルター(空気、言語、論理)がその役割を持っています。

阿頼耶識はフロイトの心理学で言う潜在意識に当たり、末那識は自我にあたります。

阿頼耶識は「業力(カルマ)」を蓄える機能があり、生まれてからの経験が全て蓄えられています。(個人だけでなく、人間全体の記憶の歴史すべて)

これは引き寄せの法則に似ていて、「良き行いをすれば良い物事を引き寄せられる」因果応報という事です。

唯識の無意識の考え方ももフロイトの無意識の考え方も「無意識の世界の中で互いに影響を及ぼしている」と言えますが、心の動きをより精密に捉えているのは唯識かも知れません。

阿頼耶識の力を引き出す方法

阿頼耶識には三種の鏡(種子・六根・器界)という考え方があります。

この三種の鏡の条件を満たすことで阿頼耶識の力が十分に発揮されます。


1.種子

これは私たちの習慣や行動(全ての経験)を指しています。

生活している中で知らず知らずの内に種を蒔いていて、その習慣・行動が良ければ、良い収穫を行えることを示しています。

2.六根

六根は六識のことを指し、五感・意識を活発に働かせることを教えています。

3.器界

器界は環境の事を指します。

私たちの生活で環境は行動を制限することにも繋がります。

環境を変えることで行動・習慣も変えられる、環境が整っていなければ物事は上手くいかない事も示しています。


これらの条件を満たす事で阿頼耶識の力を使いこなしましょう。

唯識思想の世界観 三性説

唯識思想には三性説と呼ばれる教義があります。

  • 遍計所執性(意識が言語を通じて実体視したもの、常住の本体をもつと考えられたもの)
  • 依他起性(【変化する現象の世界】八識の相分・見分の刹那滅の相続の世界、縁起の世界、空なる世界)※相分=自分の心の中に作り出された認識対象(客観的) 見分=相分を対象とした認識(主観的)
  • 円成実性(【依他起性の空性の面を取り出した変わらない世界】完全に確立された真実、真如・空性・法性)※涅槃なる状態(煩悩が消えた状態)=真如・空性・法性

※依他起性と円成実性は不一不二、独立したものではない

この三性が唯識思想が考える世界観です。

まとめ

最後はスピリチュアルな感じになりましたが、唯識は心の理解に最適です。

結局スピリチュアル系の話もほとんどは因果応報に帰結します。

その目標を達成するには、一つひとつの行動を最適なものに、自分の今できることに目を向けて種を蒔く、行動するだけです。

人工知能の発達により、機械学習で網羅できない心の働きに注目が集まっています。

西欧の心理学の発達も優れていますが、その中でも唯識は注目を集めるほどに優れた東洋思想です。

今後も目が離せません。

参考文献

「唯識・華厳・空海・西田 東洋哲学の精華を読み解く」 著 竹村牧夫

「煩悩の教科書」 著 荒 了寛 苫米地英人

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