言語は、人間を他の動物と区別する強力なツールです。
しかし近年のメディアでは、その言葉の重みを考えずに発言している専門家や、理屈の通らないコメンテーターが目立つようになってきました。
特にメディアに出ているコメンテーターは肩書きばかりが先行して中身が薄いように感じてなりません。
確かにその分野に関しての肩書きがあれば、少なくとも自分の持っている知識より信用する事は、仕方のない事ですが、ある分野に精通していても、ほかの分野について知識があったりするわけではありません。
*全体像*
報道機関のレベル・倫理観が没落しているために、国民に届けるべき情報が届かない。
WEBメディアの信頼性が低い。
*背景*
日本人の多くは、既存メディア > WEBメディアと感じている。
- 国民性的にもWEB系の情報は信用されていない
- 戦後からの情報統制による支配が続いている。
- 健康系のWEBメディアが炎上した。
*考えるポイント*
- 正しい情報を得るために、どの方法を選択するべきか
- 既存メディアの情報をどのように捉えるか
報道機関が犯す過ち
価値の基準があいまいな報道機関は、公正な態度で記事を執筆するために大変な努力をしていますが、最近の新聞・テレビなどの報道機関は、ますます価値観がおかしくなっているとの指摘もあります。
一方では、意図的に情報を隠していたり、偏見を持って記事を書いたりする行為もあるとの考えがあります。
しかし、こうした価値観は、報道機関の信用を下げ、彼らの公正さに疑問を投げかけることになります。
信頼性の高い情報と正確なニュースが重要であり、報道機関は公正な態度を維持するために責任を持つ必要があります。 偏向報道によって、一部の人々だけが収益を得ることは、報道機関のプロとしての権利行使ではありません。
報道機関が流す情報には悲惨なものが多く、視聴者の注意を引きますが、倫理観が乏しいと感じざるおえません。
政治の対立構造を報道する時にも目立ちますが、対立しているという事実のみを理由に、両者を同等かのように報じます。
政治の専門家ではない私たちから見ても、今の政治は健全性・透明性が欠けている事は分かります。
いっその事、政治ニュースを流す時には「〇〇の意見を尊重して、私たちは報道します」ぐらいの偏りが出たほうがいいのかもしれません。
なぜなら下手な中立性は陰謀論を広めかねないからです。
- 報道機関は少なからず思想・利害関係によって、報道に偏りがある
- 報道機関はプロとして説明責任を持つ
歪められた情報
メディアは、統計データを使用してインパクトある物事を伝えたり提言したりすることが多いですが、実際に信頼できる統計なのか、メディアが持ち出す統計を本当に信用できるのかが問われています。
以下は、報道者や研究者が信頼できる統計を作成するために取り入れるべき方法を検討します。
一つ目は、データの信憑性(validity)に関する主観的な判断を行うことです。データの精度や有用性などから、統計データが本当にクオリティの高いものなのかを判断します。
二つ目は、データの内容と提示方法を明確に表記します。報道者や研究者は、正確な数字だけでなく、データの来源や何を調査したかの統計情報も開示する必要があります。
三つ目は、統計の偏りを検証するために他の研究成果と比較します。 信頼できる統計データを作成する上で最も重要なのは、報道者や研究者が正しい判断力と情報収集能力を備えていることです。
この三つの条件に当てはまった上で信用できる統計情報がメディア流れましたか?
報道機関が歪める情報として調査母数があげられます。
たとえサンプル集団が膨大であったとしても、それが社会全体を反映していなければ正確な情報とは言えません。
私たちは報道組織からの情報によって 「確証バイアス」を生み出し先入観を持つことで、多くの情報処理を行います。
誤った情報を受け入れれば、それだけで次の判断は自動的に誤ったものになることは避けて通れない道です。
- 偽りの統計データは、数字遊びとも言える
- 報道による確証バイアスの形成には注意が必要
オンラインニュースの危険性
スマホを国民の7割以上が所有する現代では、ほとんどの人がオンラインでニュースを入手するようにななりました。
これは自らの意志で情報を取りに行くようになったとも言えます。
ここでも浮き彫りになった問題が、自分の考えに反する情報を受け入れず、自分の偏見を支持する情報を選びがちになる事です。
人間は自分の考えを否定されることに苦痛を覚えます。
それを避けるために、山のような情報の中から、自分の考えに沿った情報を選ぼうとします。
つまり、自分にとって都合のいい情報だけを寄せ集め、正しい情報ではなく、自分にとって正しい真実を作り出す作業を行っていると言えます。
さらに、文章を読み取る能力がなくなっているために、真実の情報も自分の力で歪めてしまいます。
インターネットの登場で、情報配信が個人単位のものに変貌しました。
1900年代では、規範を俺を守りながら話題の事実関係を確認したうえで、多くのメディアは情報を発信していました。
それが現代では、思いつくがままに気軽に情報を発信できるようになってしまった弊害で情報社会を更なる深みへと追いやる事となってしまいました。
この歪んだ情報社会では陰謀論も、ある一定の人間にとっては真実になるのです。
- 信頼性は薄いが、オンラインニュースを見ている(眺めている)人は多い
- 情報発信する側は規範を守らなければならない
まとめ
残念ながら、私たちの多くは批判的に読む能力を欠いているため、自分の偏見や世界観を裏付ける情報を信じてしまうことがよくあります。
そして、私たちのほとんどは、便利な情報や既存の信念を裏付ける情報しか消費しないため、誤った情報のサイクルが続いています.。
これにより、陰謀論や「フェイク ニュース」が増加し、人々が正確な情報を見つけることがますます困難になっています。
では、どうすればすべてのノイズに巻き込まれないようにできるでしょうか?
この情報収集能力を著しく低下させているのは今日のメディアですが、どのようにして私たちは情報の真実とフィクションを区別することができるのでしょうか?
まず情報の発言をした組織や個人の背景を理解し、資格、実績などの情報を元に参考文献から収集していくことで客観的かつ正当な情報を得ることができます。
また、信用できる情報の提供者と関係を築き、正確なデータや参考文献を確認する事ができれば、より正当な情報を得る事ができるでしょう。しかし信用は、有力な権威性持っている事が前提条件となりますが、鵜呑みにすることは危険です。
より優れた批判的読者になり、聞いたり読んだりするすべてのことを、自分でその「正確性を検証せずに信じることを拒否すること」によって、自分の生活や周りの世界について十分な情報に基づいた決定を下す事が出来るようになります。