志と覚悟を学ぶ

今回は、心を奮い立たせるために橋本佐内に学んでいきたいと思います。

現代の日本では恐怖を体験するのが困難なほどに平和です。

国内外から「平和ボケ」していると罵られ、それでも甘んじて平和に浸りきっているのが私達日本人です。

常に国を思い、そのために命を燃やした過去の人々は、今の私達を見てどのように感じるのでしょうか。

この堕落しきっている私たちに多くの気づきを与え、心を奮い立たせる書物こそが「留魂録」「啓発録」です。

啓発録

啓発録はあまり有名ではありません。

愚かなことではありますが、現代の若者はSNSに夢中になり、金儲けしか考えていない書物を読み、過去の人々が残した書物を読もうとはしないのです。

少し大げさに言えば、啓発録さえあれば、世に溢れかえるほど出版されている自己啓発本は必要ありません。

この啓発録を書いた男を橋本佐内と言い、当時15歳の若き武士でした。

橋本佐内は安政の大獄により、25歳の若さで世を去ることになりますが、彼の思いを受け取るべきは現代を生きる私達です。

  1. 【去稚心】稚心を去る
  2. 【振気】気を振るう
  3. 【立志】志を立てる
  4. 【勉学】学に勉む
  5. 【択交友】交友を結ぶ

これは初心の者が、学び進んでいくために大切なことを教えてくれています。

詳しい解説を入れずとも、15歳の少年が書いたと聞かされるだけで、自分を正さずにはいられません。

橋本佐内の教育論

まず橋本佐内は大前提として「あらゆる事業を為すために最も大切なものは人材である」ことを強く意識しています。

そして、そのような人材を見出すための教育についての意見書(学制に関する意見文書)を、当時の藩主送り付けたのです。

その中には人材を得るための4つの段階が記されています。

  1. 人材を良く知ること (その人の長所を見つける)
  2. 人材を養うこと (長所を伸ばす)
  3. 人材を完成させること (武芸、学問を身に着け即戦力を目指す)
  4. 人材を活用すること (適材適所で能力を存分に発揮させる)

このように100年以上前から優れた方法が提案されているのに、戦後からの教育はほとんど変化を見せません。

さらに橋本佐内はこの4つの段階でも1と3は最も難しいと言います。

理由として、器の大きい人間は「豪放で遠慮がない者・純粋で剛直な者・情熱のせいで人と摩擦を起こす者・世間の風潮に逆らう者」と共通して欠点があり、このような人間は自分に自信があるため人に教えを請おうとは思いません。

一方、器の小さい人間は「怠け者・臆病者・弱いくせに媚びへつらうのだけは上手な者」であり、そのような人間は評価されるが、自分の利益ばかりを追求するような「貪欲さ」を持っているため信用にあたいしないと言います。

この考えを真逆に走り、人材を見極めてきた為に、今のような社会を作り上げてしまったとも考えられます。

そして橋本佐内は人材を育てられない理由として

  1. 教師が大きな視野をもっていない
  2. 教師が指導するとき些細な事を気にし、大きな目標を疎かにしている
  3. 教師は自分と似た性質の者を好み、異論を持ったものを嫌う傾向がある

の3つが挙げられ、教師の力の無さを嘆いています。

現代では人を育てる、育てたいと強く思い教師になる人間はいません。

そのように志の無いものが教師となり、生徒をないがしろにしてきた結果、現代のように教師が逆に監視されるような事態なってしまいました。

あげくの果てには学校に行かずとも通信学校で十分だという風潮にもなっています。

ここまで腐敗が進んでしまった教育は、一から作りなおす良い機会ではないかと感じるほどです。

私達の生き方、教育の在り方など橋本佐内からは多くの事を学べます。

続いて彼と同時期に活躍し、同時期に安政の大獄で投獄されていたもう一人の偉人、吉田松陰の「留魂録」について見ていきましょう。

留魂録

留魂録を紹介する前に一つだけ勘違いして欲しくない事があります。

それは松陰の思想が、後に戦争や連合赤軍に繋がったという偏見です。

確かに武力をもって国家を転覆した明治維新を考えると、そのような見解が出てきて当然です。

しかし現代に時代を移して考えても、武力ではない暴力が、形を変えた暴力(権力、お金、空気)として私たちの身の周りに潜んでいます。

過去の争いへの偏見は「その時代ではその行為しかできなかった」と考えるべきで、それらの歴史をどのように活かしていくのか、その視点で見れば松陰から学ぶべき点は多くあると思います。

それでは留魂録を見ていきたいと思います。

留魂録は吉田松陰が投獄され、死を覚悟した後、弟子に自身の魂(思い・願い)を託すため、処刑2日前から書き上げた書です。

身はたとひ武蔵野野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂

から留魂録は始まります。

松陰は「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」の言葉からもわかるように、この「大和魂」に対して、いかに誇りを持っていたのかが伺えます。

留魂録は16の項目から構成されていますが、少し原文から抜き取って紹介しておきます。

至誠而不動者未之有也一句ヲ書シ手巾へ縫付携テ江戸二来リ

「至誠而不動者未之有也」これは松陰が江戸への召喚命令を受けた際に持ち続けた孟子の一句です。

これは「至誠通天」とも呼ばれ、松陰の志、魂と呼ばれるものであります。

この一句には松陰の「誠」に対しての考え方が表現されており、「誠」は「実行」「専一」「継続」が伴ってこそ実現されると言います。

この時代は儒教が広く普及していた時代で、日本の武士道精神に深く取り入れられた時代です。

そのため松陰は儒教への知識も十分に備えていました。

儒教と尊王攘夷の思想が合わさったことで、より一層苛烈な行動に走ることになったことは反省すべき点かもしれません。

まとめ

留魂録には「夷敵を打ち払う」や「異端邪説を廃せんと欲す」など、弟子に指示を出している面も多く見受けられます。

このような点だけを利用した悪い例が戦争であり、連合赤軍のような組織です。

すでに述べた通り、私たちが学ぶべきは松陰の「至誠」や「大和魂」であって、それらをいかに現代社会の為に役立てるかです。

橋本佐内や吉田松陰のように高い志を持ち、国や社会のために行動する事のできる強い人間が育つことを願います。

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