廣池千九郎(ひろいけちくろう)をご存じでしょうか?
彼は「道徳科学(モラロジー)」を提唱した人物で、その活動の社会的意義は計り知れません。
「道徳科学(モラロジー)」なる言葉は初めて聞いた人が多数だと思います。
しかし調べれば調べるほどに引き込まれていく事は間違いありません。
道徳研究者であり、教育者の廣池千九郎の教えを学んでいきたいと思います。
廣池千九郎の経歴
1866年現在の大分県中津市に生まれます。
14歳には母校から助教として、教育者の道を歩み始めますが、資格がないため一度辞職しています。
辞職後は実家の家業を手伝いながら、資格取得のために師範学校を目指しますが、師範学校の試験に落ちてしまいます。
その後、麗澤館(漢学の塾)にて師である小川含章に出会います。
この小川含章は南豊儒学の流れを汲んでおり、南豊儒学は儒学に自然科学を加えた学風でした。
この学問が、人の道を自然科学を用いて法則性を見出す学問となり、数学や実学を重視する学問となっていったものを廣池は受け継いでいく事になります。
二年ほど麗澤館で学んだ後、師範試験に合格し、正式に教育者として歩み始ます。(19歳)
実学を重んじる廣池は養蚕業も教え、実践していました。
25歳の頃には教育業の傍ら「中津歴史」と呼ばれる歴史書を刊行します。
26歳で京都にて出版業を営みますが、「古事類苑」の編纂依頼を受け、28歳で東京へ行くことになります。
そして41歳になると神宮皇學館から就任以来があり、神道の担当教員になりますが、天理教に惹かれていた廣池は46歳になると辞職し、教団の幹部になります。※この頃清国への調査旅行にも行っている。
その後も「道徳科学の刊行」や「道徳科学専攻塾(後の麗澤大学)の設立」まど、挙げればキリがないほどの功績があります。
廣池千九郎の「誠」「道徳」
彼は道徳の根本に「誠」があり、英語のTruth(真実)・Sincerity(誠意)・Benevolence(慈悲)の三語を合わせた以上の言葉であると考えていました。
そんな彼は実際に自身の誠の心を体験し感じています。
廣池は天理教勢山支教会の矢納会長に誠の精神を体得する方法を尋ねました。
すると矢納会長から「 3年半の間、全身不随の病人である、37歳の婦人を助けよ」と言われました。
しかし何もできない廣池は自分の無力さを痛感し、ただ心の底から神様の力に頼りました。
するとその病人は2ヶ月後には手足が動くようになり立って歩けるまでに回復しました。
このことから「誠」 の真の意味は「神の慈悲心に合することであって、神の慈悲心とは物質的救助でなく、精神的に人身を救済することにある」 と確信しました。
この強烈な体験をした廣池は「道徳」について、どのように考えていたのでしょうか。
善もしくは道徳とは、結局、人類の生存・発達・安心及び幸福享受の原理に一致する人間の精神作用及び行為にして、悪もしくは不道徳とはその反対の精神作用及び行為であることに帰するのであります。「道徳科学の論文」より
それでは、様々な知識を習得した天才の「道徳科学」を覗いていきたいと思います。
道徳科学とは
道徳科学は海外で「モラルサイエンス」と呼ばれ、イギリスでは18世紀頃には論じられ、19世紀にはアメリカの大学で教えられるほどの学問となっていました。
では廣池の説く「道徳科学」とは何でしょうか。
彼は「因襲的道徳(普通道徳)及び最高道徳の原理・実質及び内容を比較研究し、その実行の効果を科学的に証明する新しい科学」と表現しています。
言い換えると「一般的な道徳とは違う最高道徳を科学する学問」と言えます。
この一般的な道徳とは私たちが生活する上で普段感じている伝統や慣習のことを言い、最高道徳とは宇宙自然の法則や人類進化の法則のような普遍的な事物を指します。
この最高道徳を以下の五箇条の原理としてまとめています。
- 自我没却の原理
- 神の原理
- 義務先行の原理
- 伝統の原理
- 人心の開発もしくは救済の原理
さらに最高道徳の実行者として以下の五つの道徳系統があるとしました。
- ソクラテスを祖とする道徳系統
- イエスキリストを祖とする道徳系統
- 釈迦を祖とする道徳系統
- 講師を祖とする道徳系統
- 日本皇室の御祖先天照大御神及び日本歴代の天皇の御聖徳を中心とする道徳系統
そして最高道徳の実践、その第一として
慈悲寛大自己反省 まずは自分を省みる事によって道徳に目覚め、この第一の精神を持った上で以下のように実行していくのです。
深信天道安心立命 深く天道を信じて安心し立命す
悟現象之理為無我 現象の理を悟りて無我となる
自負運命之責感謝 自ら運命の責めを負うて感謝す
日々忙しくあらゆる問題に悩まされている私たちは理論の説明だけでは実行することができません。
そのため廣池は本当に最高道徳を実行しようとするには、理論ではなくこのような短い文章で実践することを促しているのです。
まとめ
道徳教育は今後ますます必要になると思います。
いい加減な情報・発言を得る機会が増えてしまった今日では、すぐに悪い影響を受け、社会が乱れていっています。
ただでさえ堕落した教育になってしまい、教師が生徒に指導できない状況です。
そんな教育がされていない人間が社会にでれば、この乱れた社会がさらに悪化していく事は目に見えて恐ろしくなります。
さらに廣池は「道徳科学(モラロジー)」は精神の為だけでなく、経済の病の予防薬とするために作ったと言っています。
宗教を危険との目線で見るのではなく、善く生きるための指針として、教育として「道徳科学」を学んでみてはいかがでしょうか。
廣池千九郎は亡くなる直前、後世に残した言葉があります。
「とこしべに 我たましひは 茲に生きて 御教守る人々の 生れ更るを祈り申さむ」
参考文献
「道徳科学とは何ぞや 廣池千九郎」著 橋本富太郎