神道の歴史から学ぶ思想

倫理観を鍛えるだけでなく、相手を理解するためにはその人の考え方、つまり思想を理解してあげる必要があります。

一人ひとりの思想は違いますが、相手の思想を理解してあげる事が、相手に寄り添う第一歩です。

「心だに誠の道に叶いなば祈らずとても神や守らん」

世界には五大宗教であるキリスト教・イスラム教・仏教にヒンドゥー教とユダヤ教など、様々な宗教があります。

しかし日本人の多くは自分が何を信仰しているか知りません。

「日本人は無宗教」これも多くの日本人の感覚です。

この考え方を山本七平は「言葉なき思想」と言っていますが、今回は神道に絞って話を進めます。

日本人の宗教観として「一つの部屋で全員が赤の服を着ている中で自分も赤の服を着ているようなもの」と考えることができます。

このように服にはプリントや刺繍が施されて微妙に違いますが、それこそが日本独自の宗教である神道なのです。

神道とは様々な知識人たちが儒家神道や伊勢神道などの理論を作りましたが、簡潔に言うと「和をもって自然を尊ぶ」が基本的な考え方です。

日本に発生した民族信仰、祖先信仰、自然神への尊崇を中心とするとされているが最も特徴的なのが教祖がいないことです。

日本独自の文化である武士道や粋と行った美意識も神道によって作られたことが分かります。

神道を知らない人が多い理由の一つとして、学校教育の過程で教わらないことが挙げられます。

理由としては教える事は禁じられて来たからです。

日本人として生きる、生きてきた私達は知っておかなければならないと思います。

それでは戦後のGHQによる戦略により消された神道について手短に説明します。

 神道の起源

 Wikipedia では縄文時代の終わりから弥生時代にかけて伝来した稲作に基づき自然と紙を一体と見る自然信仰が日本列島に生じたのがはじまりとされています。

しかし個人的には明治大学名誉教授である武光誠の「神道は精霊崇拝と呼ばれる縄文時代の祭祀とその中から生み出された様々な文化の流れを引くとする」という考えに一票入れたいと思います。

神道は縄文時代の精霊崇拝、弥生時代の祖霊信仰と時代によって変化してきました。

神道と仏教

仏教が日本に伝わったのは日本書紀によると552年とされています

時代背景により仏教の立ち位置も変わりますが神道と仏教は共存してきました。

現代でも葬式は仏教という家がほとんどではないでしょうか。

神道とキリスト教

戦国時代の頃に神道、仏教を超える天道思想が現れました

天童思想とは世俗道徳に叶った生き方をすることで天道の加護が得られるといったものです。

キリスト教は天道思想を持った日本人に謝った形で受け入れられたため、キリスト教の儀式などは受け入れるが天童に従って生きるといったものになりました

これは現代の結婚式の多くがキリスト教なのにも納得がいくと思います

しかしキリスト教が海外の国々で植民地支配を進めていたことを知っていたため、仏教のように共存することを日本は許しませんでした。

こうした背景を踏まえて江戸時代日本は鎖国という選択をしました。

儒家神道と鎖国

儒家神道とは朱子学になって徳川家康の学問の師である藤原惺窩が開いた思想と言われています。

朱子学とは儒教をまとめなおしたものです。

儒家神道は人々に正しい生き方を教えるものでなければならないと説き、朱子学を通して道徳を国民に教えました。

少しでも歴史に興味のある人はこの時代の日本人が、いかにして「人を修める」ことについて真剣だったかを知っているはずです。

伊勢神宮と尊王思想

江戸幕府が交通路を整えたためお伊勢参りが庶民に普及しました。

この頃から古事記などの神話により、天照大御神が日本の守り神と考えるようになりました。

この思想が広まり、頂点に天皇を据える尊王思想が徐々に国民の間に浸透していきました。

尊王攘夷と開国

19世紀頃には西欧諸国の接近や大飢饉が起こり幕府に対しての不満がピークに達していました。

そこで誰もが知っている黒船来航。

幕府はあっさりと開国し貿易を始めることとなります。

この開国により日本経済は大きく混乱することになりました。

そして幕府に国民の怒りをぶつけたのが尊王攘夷を唱えた志士たちでした。

彼らの要求は天皇を頂点に据えることそして鎖国することでした。

日本を開国すると多くの西洋人たちは軍事力を見せつけ、日本を見下し横暴な商売を行ないました。

そのため日本は西洋の技術を学び、国を守る方針となり、日本は技術・情報を海外から吸収しながら発展することになりました。

この頃の日本は現代の日本と重なるように感じます。現代ではどうでしょうか。

 IT 分野で大幅に遅れを取った日本は、事業においても国として外国資本に支配されています。

これからは古き良き日本の心を持ち、利他的な心のある同調圧力を気にしない人が増えることを願います。

国家神道

力を弱めた幕府は終わりを告げ時代は明治に突入します。

東京が首都になったのはこの頃です。

明治元年五月、新政府は新しい神道を目指し、これまで共存してきた仏教を切り離す、「神仏分離令」(もしくは神仏判然令)が出されます。

こうして天照大御神の血筋とされる天皇を信じる、天皇のもとに日本の平和を築く思想の国家神道が生まれました。

日本が無宗教と言われる理由は、国民に信仰の自由を保証しているからです。

神道は宗教ではなく、神道を行うことは国民の義務であると当時の政府は考えました。

こうした考えが実現できるのは日本人が利他的であり協調性の高い民族だからでしょう 

これが神道の大まかな歴史です。

GHQによる神道の破壊

最後にGHQによる国家神道の破壊について説明します。

元々神社は政府が管理していました。

しかし戦後日本はGHQから「神道指令」と言う神社を宗教法人にするという指令が出されました。 

国家神道神社神道ニ対スル政府ノ保証・支援・保全・監督及ビ弘布(こうふ)ノ廃止ニ関スル件」

これにより政府と神道との繋がりを断たれ、宗教を学校教育のなかで教えてはならないとされた為、宗教法人とされている国家神道も教えることができなくなりました。

これはGHQが神道と軍国主義の繋がりを恐れた為です。

経典を持っていない神道に対して「政教分離」を行う意味はないのですが、実際に現在でも公人である役人や政治家は正式に神社に参拝することはできません。 

神道とは神がいるとされる場所に身を置いて神の力を感じるものです。

そして万物において感謝の念を持ち、敬う心を忘れてはいけません。

日本人の価値観

価値観とは千差万別である。

価値観とは生まれ育った国 育った環境、教育などにより形成される。

この価値観がぶつかることで、戦争、貧困、ありとあらゆる問題が起こる。

この価値観が自分の生き方を決め、物事の判断基準を作る。

世界には価値観を変えようと、洗脳教育、拷問ありとあらゆる形で価値観を壊し、支配しようとする国もあります。

日本では、戦後GHQ によりマインドセットが徹底的に行われました。

私たちは義務教育という名の洗脳教育を受け、贖罪意識を植え付けられました。

確かに日本も悪い。

しかし多くの人は思ったはずです、私たちも被害者ではないのか。

これは私の個人的な考えですが、戦争を始めた時点で両国とも悪いのです。

負けたから責められるのか。

勝ったから奪ってもいいのか。

平等とは何か。

幸せとは何か。

戦争なんていらない。

日本で成功した経営者、資産家は必ず日本を出ていき、税金の安い国へ移住する。

この流れが今後さらに加速することは明らかです。

ではなぜ彼らは日本は税金を払わないのか。

生まれ育った国を愛していないのか。

彼らは知っているからです。

自分達がリスクを背負い稼いだ金は適切に使われないことを。

東京、大阪、日本を代表する都市を見てください。

これは本当に日本なのか。

外国の都市の風景と変わらないのではないか。

それだけこの国は英語圏の国々やアジア諸国の影響を大きく受けているのです。

海外の文化は素晴らしく、洗練されたものが海を渡り日本に伝わりました。

このこと自体に問題はないのです。

日本人は宗教などにおいても寛容な民族です。

海外の優れた文化、技術を取り入れる。

素晴らしい事です。

ですが私は思うのです。

受け入れたのではなく、染まってしまったのではないか。

日本の良さはどこへ行ったのか。

街を歩けば辛そうな人が下を向いて歩き、会社ではパワハラが横行し、うつ病患者は年々増加している。

本当に今の生活が、食事が、日本人にあっているのか。

昔の人たちはもっと幸せに暮らせていたのではないか。

幸せは測れないのでどちらかということは出来ませんが、一度考えてみて下さい。

何がダメなのか。

なぜ染まってしまったのか。

一つだけ分かっていることがあります。

それは教育です。

学生時代を思い出して欲しいのです。

日本を好きになれる、愛国心をもてるような気持ちになった事はありますか?

私はありません。

むしろこの国が好きかなんて考えた事もなかったと思います。

ですがそれは当然なんです。

我々は日本の豊かな精神を、日本の文化の素晴らしさを教わってきていないのです。

グローバル化に伴い英語を覚える。

英語の教育を変えないといけない。

マイクロソフトの代表取締役を勤めたことのある成毛眞という人が言っていました。

「ビルゲイツとやり合う為に仕方なく英語を練習した」と。

私のなかでも英語の重要性はこんなものです。

日本語で十分に学問は学べます。

今となっては海外の文献も翻訳機能を使えば読むことは可能です。

そんな事よりもっと大切な事は日本の文化を日本の素晴らしさを教育していくことではないでしょうか。

近年の教育では教師は怒らず無関心。

年配の方には老害扱い。

日本人は文化も心も失いました。

日本人は民度が低いから政治家は無能だという意見は正しいのか。

私たちは友情と裏切り権謀と復習が織りなす日本を生きています。

私達はどうなるのか。

我々は日本の文化を失った。

和服はなくなり洋服となり、和食がなくなり洋食となる。

日本人は日本人の良さを知らない 。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

こうして神道は私達の生活から心から消えていきました。残念な事です。

この神道について調べれば調べるほど、なぜか知っている事のように感じるのは、私たちの心の中に神道という名の「和の心」「和の精神」が根付いているからではないでしょうか。

何を信仰するかは個人の自由ですが、このように日本人は仏教や儒教などの良い所を認め、尊重し合うことが出来る存在です。

世界中の人々が、生まれ育った国を大切に、生まれ育った国を誇りに思えるような国作りをしていかなければならないと感じます。

日本は無宗教と言われる理由の一つは、国民に信教の自由を保証しているからです。

神道は宗教ではなく、神道を行うことは国民の義務であると当時の政府は考えました。

こうした考えが実現できるのは日本人が利他的であり協調性の高い民族だからでしょう 。

近頃は、この素晴らしい日本人の性質が問題視されていますが、それこそ問題ではないでしょうか。

「個人の時代」など言われてはいますが、権力者が求めるのは分断です。

この記事を読んだ後は、一分ほど「日本の将来」について考えてみてはいかがでしょうか?

生まれ育ったこの国を大切に。

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