パート⑤【エンパシーを超える】

「思いやりってなんですか?」思いやりは全てのヒトに備わる能力ですが、「思いやり」について深く考えるヒトは少ない。目まぐるしく過ぎる日々の中で、そんなコトを考える暇がないのです。しかし、思いやりのないヒトが人生を良く生きることはできるのでしょうか。人間は誰かと関わるコトで成長するし、幸せを感じる。人生を豊かにする「思いやり」について学ぶコトは全人類にとって有益なコトです。

思いやりがないヒトは何もうまくいかない

「デザイン思考」という言葉が流行りました。最近になってやたらと注目を集めていますが、1960年代にアメリカの哲学者であるハーバート・サイモンが「デザインを科学的思考方法」として記したのが始まりです。

デザイン思考とは「相手の視点」から物事の問題点を見つけて、解決するという一連の流れを指します。つまりヒトの思いやりから問題を解決するアプローチと言えます。この考え方はビジネスだけでなく、人間関係を構築するときにも必要になります。

誰だって思いやりのないヒトと関わるのはしんどい。そんなヒトから距離を取るのが当たり前です。人間ひとりでは何もできないコトを肝に銘じておきたいものです。

思いやりってそもそも何だろう

思いやりを理解するには、まず初めに「共感」を理解する必要があります。共感は相手の気持ちや経験を理解し、感情移入すること。その共感した状態から、さらに一歩踏み込んだ高次元の領域が「思いやり」です。

共感には2種類ある。「エンパシー(Empathy)」と「シンパシー(Sympathy)」です。

エンパシーは「情動的共感」と言い、主に感情や感覚に対してまるで相手と同化したように共感し理解できること。「あのヒトは楽しそうだ」みたいなイメージが想像しやすいと思います。能力的な意味が強いように感じます。

一方でシンパシーは「認知的共感」。これは情動的共感とは逆に、相手の感情を一歩離れた位置から、「事実」として解釈・認識することを指します。「あのヒト楽しいのかな?」のような感覚。思いやりはどちらかと言えばシンパシーに近いですね。

大事なコトは共感の次元をあげること

共感の他にも、人に対する態度に「憐れみ」があります。ブッダは「徳がある人には誉め、徳がない人には憐れんで戒めの言葉をかけなさい」と言い、思いやりの基礎を作りました。よく「人を憐れむな」と言うヒトがいます。特に障害を持つ方を憐れんではいけない風潮がある。

その理由は、その憐れみが低次元の態度だから。憐れむだけでは相手に失礼です。だから私たちは憐れんだヒトに対して、同情し、共感しなければならない。そして人に接する態度を「思いやり」の段階まで引き上げる必要があるのです。ちなみに仏教用語の「慈悲」と「思いやり」は類似しています。

思いやりを使ってはいけない時もある

もちろん思いやりは万能ではありません。思いやりを意図的に排除することも重要になってきます。以下の2つは特に注意が必要です。

  • 重要なタスクが残っているとき
  • モノゴトの善し悪しを判断するとき

無意識に相手を思いやれるヒトは問題ありませんが、思いやりを意識的に行う場合は膨大なエネルギーを消費します。重要なタスクが残ってる場合は避けるべきですね。また、モノゴトの善し悪しを判断する場合は、一方に肩入れしてしまい正しい判断ができなくなる恐れがあるので気をつけましょう。

イエール大学の心理学教授であるポール・ブルームは著書【反共感論】で「他者の欲望や動機を正確に読み取る能力は、サイコパスの特徴」とし、共感能力を詐欺行為に使う人間がいると批判しています。

共感は危険な作業のひとつだった

思いやりは共感のさらに高次元であることは解説しました。「スタンフォード大学の共感授業」では、共感を以下の3つに区別しています。

  • 共有する→体験を共有する
  • 考える→他人の視点を具体的に想定する
  • 配慮する→他人を幸せにしたい

どれも納得の考察です。これは共感に対する分解であり、思いやりが共感の上位互換であることは否定できません。それでは危険性について見ていきましょう。

心理学の博士であるタニア・シンガーとフランス人の仏教徒であるマチウ・リカールは、「慈悲(思いやり)」の研究を行いました。これは要約すると「身近なヒトへの共感」と「対象のない利他的な愛」との違いを観察するための研究です。

リカールが瞑想状態に入り、それぞれの体験をする。結果として、利他的な愛(慈悲)は暖かでポジティブな状態を生み、共感は耐え難くバーンアウトする感覚を生んだのです。これは、共感にネガティブな感情を引き起こす恐れがあることを示しています。

少しスピリチュアルな話に聞こえるかもしれませんが、私たちがすべきことは共感の領域ではなく、思いやりの領域で生活することです。

思いやりを強くする方法はある

自分は思いやりが足りてないと感じるヒトが多いですね。友達同士で話している時「あの子は思いやりが足りないよね」みたいな話をするでしょう。そんなヒトのために思いやりを強くする方法を紹介します。(思いやりの強いヒトはそのままでOK)

思いやりは共感の上位であり、思いやりが足りないヒトのほとんどは情動的共感能力が低い。情動的共感が強ければ自然と相手への共感ができるようになります。まずはここを強くしましょう。方法は簡単。「相手の気持ち」に意識を向けることです。

最初は相手が何を考えているのかわからない。それでも観察していくことで「あのヒトはコレが嫌なんだな」と少しずつ理解できるようになる。こうするコトで相手の立場に立つことができるのです。

認知的共感を鍛えたい場合は、モノを観察すると良いでしょう。例えばiPhoneで言えば「この触り心地が良い」とか「ヌルっとした動きが良い」など、ユーザー目線(人間目線)の工夫が施されています。共感を鍛え、いち早く思いやりの領域に向かいましょう!

あなたの選択を豊かにする物語

インドグジャラート州ポールバンダルに生まれた彼は、弁護士になりました。そんな彼が幼少期、素行が悪かったのは内緒の話。これは後に英雄と呼ばれる男の物語。

18歳でロンドンに留学した彼は、弁護士になるためロースクールに入り、弁護士資格を取得後に帰国した後は、順調な人生が待っているはずでした。しかし現実は厳しいものになりました。彼はインドに帰国し、弁護士を始めるが挫折したのです。人生はどうなるかわからない。見切りをつけた彼は南アフリカにわたり、20年近く弁護士として働くことになりました。

そんな彼が目にしたのは、インド系移民に対する人種差別。もちろん自身も例外ではない。南アフリカは当時、イギリス領だった。彼も計り知れない屈辱を味わったことでしょう。そして彼は動いた。「サティヤーグラハ」と呼ばれる非暴力抵抗運動を始めたのです。※「サティヤーグラハ」は彼が作った言葉であり、「真理に対する信念を持った自発的主張」という意味を持ちます。

この運動により彼らは正義を勝ち取りました。そして彼はインドに戻り、後世に語り継がれる行動に出ます。「インド独立運動」です。長きにわたる活動の末、第二次世界大戦後に独立を達成しました。

彼の名はマハトマ・ガンディー。本名はモハンダス・カラムチャンド・ガンディーです。「マハトマ」とは「偉大なる魂」という意味。彼は国民の英雄となったのです。最後までヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融合を追求しましたが、ヒンドゥー教徒に暗殺されてしまった。最後の言葉は「おお、神よ」だったそうです。

彼のような選択を取ることができるでしょうか。正真正銘の命がけによる運動です。多くのヒトは無理でしょう。それでも彼を突き動かした「信念」を、私たちも見習う必要がありますね。

弱いものほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ。
マハトマ・ガンディー

より良い選択のために

  • 思いやりがないと人生は上手くいかない。
  • まずは共感する練習を取り入れる。
  • 遠回りにこそ正しい選択がある。

このアイデアを活用して、より良い選択を行い、あなたの人生がより良くなることを祈っています。

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