禅といえば一時期流行り病のように話題となりましたが、実際に禅に対する理解がある人は少ないと思われます。
しかし日本人の思想には明らかなものとして禅の思想が入り込んでいると考えられています。
そこで今回は仏教・禅学者であり、思想家としての一面を持ち合わせた鈴木大拙より禅への理解を深めていきたいと思います。
禅の思想
達磨の二入四行観
道に入る方法は沢山ありますが、最も大事な事は「理から入ること、行から入ること」の二つがあります。
理から入る(理入)=経典の教えによって原理を体得すること
- 人間が本来備わっている善なる心が、妄想によって汚れてしまっている。自分も他人もなく、平等であり、一体のものであることを忘れず真理と共に在ることで煩悩が去った状態になることが出来る。この状態としての無為の境地を理入と呼ぶ。
行から入る(行入)=四つの行(四行)
- 報怨行=人からの怨みを耐える経験をする事で真理に近づける
- 随縁行=苦楽があっても、それは前世からの因縁であるから心を乱して(増減)はならない
- 無所求行=人は物事に執着するが、本来万物は空である。求める必要はない
- 称法行=法(ダルマ)には我はない。全ての人も我から離れることで煩悩に影響されない(理)
行而不行(行じて行ぜず)、行入が行で、理入が不行、つまり行入は四行をもって考え方を教え、理入は自我の在り方を教えており、「この二入から修養に入るべきだ」と達磨は考えます。
達磨の安心法門
- 悟る時は心の中に識の対象を取り込み、迷う時は識の対象によって心の働きが左右される
- 自心が分別し企みを計る、これを有心と言い、この煩悩が亡くなった状態を正覚(正しい悟り)と言う
- 有と無は相関的なモノである。自身の心が有も無も作り出しているにすぎない
- 罪業は有無の心が作りだす。それを作り出すは己の心と知れば道は開ける
- 日常生活の上で解を得たり、法を体するものはいかなる時も惑わされない。文字の上でのみ解を得た人の力は弱いものだ
- 法界(認識)を自己の外にあると考えると相対的事物によって分別観を作り、自他の行動を規制しようとする。これによって迷いが始まる
- 心は法界(悟りの世界、認識)であり、心が法界である。心の働きは法界の外には出れない
- 自己とは我であり、我があるから道を得ることが出来ない。無の境地に達したものは環境に囚われない
- 自己が無ければあらゆる物事に是非はない。是非の価値判断は自分に我があるから行うことである
- 心に即して無心になる、これを仏道に通達すると言い、物に即して分別の心が起きなけらば道に達したと言う。物に対して、その理に達し本源を知りぬく人は智慧の眼が開けている
- 智者は自分を立てず、向うの物に任せることで取捨選択や苦楽の感受をしない。
- その処に執えられず行為に対して自覚的意識の拘束を受けない事を見仏(真実在を攫む)と言う。執らえらると実在と非実在を見誤る。
- 対象に執われ分別をする心で観ると、生死が現実にあると見て苦しむ。法界の姓、分別のない心で観ると生死は悟りの境地である
- 心は色法(対象性)ではなく、その意味では有ではない。しかしその用(はたらき)は廃さないから無とも言えない。(心は空であるから有無の範疇には入らない)
二つの心
一つ目の心は自己の心(分別する心)、二つ目は法界の心(「空而常用」空にして常に用いる心)について明確に分けて考えることで理解が深まるかと思います。
「安心法門」では安心を得るためには「慧眼」を開く事とされています。
「慧眼」とは壁観・正覚とも言い、「慧眼を開いた状態」は、分別なき心で物を見ることで対象に即した状態でなり、対象に対して自分という我がない状態になる。
これにて「見る事なきを見る」状態、物に任せた状態になることができます。
この状態に達したことを「慧眼を開く」、悟りを開くと言います。
またこれらを表現するために鈴木大拙は「無分別の分別」という一語を創出しました。
また「無分別の分別」を「無知の知」とも呼びます。
無功徳
行為的原理を「無功徳」または「無功用」と言います。
無功用的行為とは報(見返り)を孝(考え)の中に入れない、例えば目の前の仕事よりも、余計に報を考える事は無功用的行為ではない。
つまり、ただその仕事を行い、その他の利害得失を考えないことを無功用と言います。
超個
超個とは個を超えた、個の上にある存在として表現されています。
また超個なるものは「無分別の分別」と同義で、これを理解できなくては苦悩が尽きることはありません。
まとめ
以上が鈴木大拙の禅への考え方の基礎となるものです。
鈴木大拙の禅は論理的・哲学的なところがあり、初学者が読むには理解が難しいかもしれません。
しかし「二入四行観」「安心法門」「無分別の分別」「無功徳」「超個」をある程度、捉えておけば大丈夫かと思います。
鈴木大拙は海外でも禅を説き、世界の苦しみを嘆いたと言われています。
また著作も多く、非常に知識量も多い人物です。
偉大な仏教学者・文学者である鈴木大拙の思考に触れることをお勧めします。
参考文献
「禅の思想」 著 鈴木大拙